前島密(まえじまひそか)
官僚、政治家、男爵[日本]
(「郵便制度の父」)
1919年 4月27日 死去享年85歳

前島 密(まえじま ひそか、1835年2月4日〈天保6年1月7日〉 - 1919年〈大正8年〉4月27日)は、日本の官僚、政治家、教育者、華族。
位階勲等爵位は正二位勲二等男爵。
本姓は上野。
幼名は房吾郎。
名(諱)は巻退蔵、密。
通称は来輔。
号は如々山翁鴻爪。
越後国出身。
日本の近代郵便制度の主要な創設者の一人であり「日本近代郵便の父」と呼ばれ、大蔵省駅逓頭(後の郵政大臣・現総務大臣)、逓信省次官を務めた。
今も使われる「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めたほか、1円切手の肖像で知られる。
また、東京専門学校及び早稲田大学の建学に深く関わり、早稲田大学第2代校長を務め、校賓の名誉を受けている。
早稲田大学正門横にある「早稲田大学教旨」の碑文は、前島密が1915年(大正4年)に揮毫した自筆が元であり、原本は大学に保存されている。
人物=
出生から幕臣となるまで
越後国頸城郡下池部村(現・新潟県上越市)の豪農上野助右衛門の二男「房五郎」として生を受ける。
母は高田藩士伊藤源之丞の妹で、貞子(ていこ)。
生後八か月で父助右衛門が亡くなり、4歳の時母に連れられ高田に移住し、7歳頃、糸魚川藩の藩医を務める叔父相沢文仲の勧めで母とともに糸魚川の相沢家に移り、そこで、患者の取り扱いや薬剤の調合などを見聞きし、医書に接する機会を得ることで医学を志すこととなった。
10歳となったとき母の下を離れ下池部にいる兄のもとに身を ……
前島密が亡くなってから、105年と339日が経過しました。(38690日)