松平浅五郎(まつだいらあさごろう)
美作津山藩主[日本]
1726年 12月4日 死去享年11歳
松平 浅五郎(まつだいら あさごろう)は、江戸時代中期の大名。
美作津山藩2代藩主。
生涯=
享保元年(1716年)9月1日、初代藩主・松平宣富の長男として誕生。
享保6年(1721年)、父の死去により家督を継ぐが、享保11年(1726年)11月11日に早世した。
享年11。
嗣子が無かったため御家断絶、改易となるはずであったが、緊急措置として白河新田藩主松平知清の三男又三郎が名跡を継ぎ、藩を存続させることができた。
しかしいわゆる末期養子であったために、罰則として藩の石高は10万石から5万石に半減された上、幕府における待遇、官位などにおいても以降冷遇されることとなった。
4代後の斉孝はこの境遇に不満を持ち、幕府にかつての10万石への復帰を訴えた上、家格復活を実現させるために、文化14年(1817年)に11代将軍・徳川家斉の十四男・銀之助(後の斉民)を養嗣子として迎えた。
これにより、津山藩は5万石を加増され昔の10万石に復帰し、官位などの面でも優遇されることになった。
表話編歴津山松平家津山藩2代藩主 (1721年 - 1726年)森家
森忠政1603-1634
森長継1634-1674
森長武1674-1686
森長成1686-1697
森衆利1697
衆利の幕政批判により、改易。
森氏は長継が備中西江原藩に再勤、存続
津山松平家
松平宣富1698-1721
松平浅五郎1721-1726
松平長煕1726-1735
松平長孝1735-1762
松平康哉1762-1794
松平康乂1794-1805
松平斉孝1805-1831
松平斉民1831-1855
松平慶倫1855-1871
廃藩置県
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松平浅五郎が亡くなってから、298年と162日が経過しました。(109007日)