与那嶺要 氏(よなみねかなめ)
元プロ野球選手、中日監督[日本]
2011年 2月28日 死去前立腺がん享年87歳
与那嶺 要(よなみね かなめ、本名:ウォレス・カナメ・ヨナミネ(Wallace Kaname Yonamine)、1925年(大正14年)6月24日 - 2011年(平成23年)2月28日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii)マウイ島オロワル生まれのプロアメリカンフットボール選手(ランニングバック)、プロ野球選手(外野手、左投左打)・コーチ・監督(外国籍を有する監督としてはNPB史上初)。
父親は沖縄県、母親は広島県出身のハワイ移民日系2世。
日本IBMの社長を務めたポール与那嶺は息子。
ウォーリー(Wally)という愛称で親しまれ、ウォーリー与那嶺と表記されることもある。
経歴=
アメフトから野球に=
小学生になると、夏休みには父親が働く製糖会社パイオニア・ミルのサトウキビ畑の刈り入れを手伝う。
この家業の手伝いが「足腰の強さを培った」ともいわれている。
フェリントン・ハイスクールでは、アメリカンフットボール・バスケットボール・野球の万能選手だった。
俊足を買われ、1947年にアメリカンフットボールのサンフランシスコ・フォーティナイナーズ(当時はNFLとは別のAAFCというリーグに所属していた)に契約金14,000ドルで入団。
ハーフバックとして活躍するが、同年オフにハワイへ帰郷した際、野球を楽しんでいたところ左手首を骨折したことが原因で、49ersを退団。
次にハワイアン・ウォリアーズでプレーするが、2年目に左肩を脱臼してフットボール選手としての現役続行を断念した。
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与那嶺要さんが亡くなってから、13年と267日が経ちました。(5015日)