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正阿弥勝義(しょうあみかつよし)

金工家[日本]

1908年 12月19日 死去享年77歳

正阿弥勝義 - ウィキペディアより引用

正阿弥 勝義(しょうあみ かつよし、天保3年3月28日(1832年4月28日) - 明治41年(1908年)12月19日)は、明治時代に活躍した金工家。
略伝= 天保3年(1832年)津山二階町に住む津山藩お抱えの彫金師・中川五右衛門勝継の三男として生まれる。
幼名は淳蔵、通称は淳蔵、勝義は工名。
幼い頃から父に彫金を学ぶ。
江戸出府の方便として津山藩先手鉄砲隊小山家の継嗣となり、江戸の彫金家に弟子入りしようとするが果たせず、江戸から帰郷後養子関係を解消。
その後、18歳で岡山藩御抱え彫金職人の名家・正阿弥家の婿養子となって、正阿弥家の9代目を継ぐ。
養子入り後は、江戸幕府お抱えの彫金家・後藤家の門人で、自身も江戸幕府及び朝廷の御用職人を務めていた実兄・中川一匠や、その師・後藤一乗から手紙で下絵や脂型、或いは相互に作品を遣り取りして指導を受ける。
勝義の作品を数多く所蔵する清水三年坂美術館にはこの頃の刀装具や短刀拵も含まれ、既に勝義が高度な技術を持っていたことが窺える。
正阿弥家は、藩主の注文で刀装具を作り安定した暮らしをしてきたが、明治維新後の廃藩置県で岡山藩との雇用が解かれたことによって生活の保障がなくなり、更に廃刀令により刀装具の仕事もなくなってしまった。
多くの彫金家たちが廃業する中、勝義はその技術を生かして新たに花瓶や香炉などの室内装飾品や彫像などの美術工芸品、茶器などを制作し始める。
明治11年(1878)職人30 ……

正阿弥勝義が亡くなってから、115年と337日が経過しました。(42341日)

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