和田義盛(わだよしもり)
武将[日本]
(建暦3年5月3日没)
(ユリウス暦) 1213年 5月24日 死去討死享年67歳
和田 義盛(わだ よしもり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての有力御家人・武将。
初代侍所別当。
三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。
鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。
治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。
平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。
頼朝の死後、梶原景時の変での景時弾劾追放では中心的な役割を果たし、比企能員の変や畠山重忠の乱などの御家人の乱では北条氏に与した。
しかし、2代執権・北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ、幕府軍を相手に鎌倉で戦うが敗死し、和田一族も滅亡した(和田合戦)。
館は若宮大路にあった。
生涯=
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侍所別当=
久安3年(1147年)、三浦義明の子である杉本義宗の子として誕生。
和田氏は坂東八平氏の一つ三浦氏の支族で、相模国三浦郡和田の里、あるいは安房国和田御厨に所領があったことから和田を姓とする。
治承4年(1180年)8月22日、三浦氏は伊豆国で平氏打倒の挙兵をした源頼朝に味方する ……