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比企能員(ひきよしかず)

武将[日本]

(建仁3年9月2日没)

(ユリウス暦) 1203年 10月8日 死去暗殺

比企能員 - ウィキペディアより引用

比企 能員(ひき よしかず)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
鎌倉幕府の有力御家人。
比企尼の縁から鎌倉幕府二代将軍・源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の妾となって嫡子一幡を産んだ事から権勢を強めたが、能員の台頭を恐れた北条時政との対立により比企能員の変(比企の乱)が起こり、比企一族は皆殺しにされた。
来歴= 比企尼の猶子= 『愚管抄』によると阿波国の出身。
源頼朝の乳母を務めた比企尼は、頼朝が流人となったのちも20年間支援を続けた忠節の報いとして甥である能員を猶子として推挙し、比企氏の惣領を継承した。
寿永元年(1182年)8月12日、鎌倉比企ヶ谷の能員の屋敷にて、北条政子が頼朝の嫡男・万寿(のちの源頼家)を出産。
比企尼の縁によって能員は頼家の乳母父に選ばれている。
頼家誕生にあたって最初の乳付けの儀式は比企尼の次女(河越重頼室)が行い、比企尼の三女(平賀義信室)、能員の妻も頼家の乳母になっている。
能員はその後も頼朝の信任厚い側近として仕える。
元暦元年(1184年)5月、源義高の残党討伐のため信濃国に出陣。
同年8月、平氏追討に従軍。
元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いで平氏が滅んだのち、捕虜として鎌倉に送られた平家の棟梁・平宗盛と頼朝が御簾越しに対面した時、頼朝の言葉を伝える役目をしている。
上野国・信濃国守護(信濃国目代を兼任)となり、文治5年(1189年)の奥州合戦には北陸道大 ……