千葉常胤(ちばつねたね)
武将[日本]
(建仁元年3月24日没)
(ユリウス暦) 1201年 4月28日 死去享年84歳
千葉 常胤(ちば つねたね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。
千葉氏第3代当主。
千葉氏を豪族から御家人の地位まで登らしめた千葉氏中興の祖といわれる。
常胤以降、一族は諱に「胤」の一字を受け継ぐことが多くなる。
在地領主=武士の政権・鎌倉幕府の創設に努力し、これによって子孫発展の基礎を築いた。
まさに関東の在地領主=武士の、そして鎌倉幕府の御家人の、一つの典型である。
千葉市立郷土博物館には彫刻家安西順一が作成した千葉常胤の木像が展示されている。
また千葉県青少年総合対策本部刊行の『郷土に輝く人々』という小冊子も、その巻頭に常胤があげられている。
このように千葉県・千葉市をひらいた人物として評価されているのである。
生涯=
千葉常胤の騎馬像『飛躍』
出生=
桓武平氏良文流千葉氏の一族。
父は下総権介・千葉常重。
上総広常とは又従兄弟。
平安時代末期における下総国の有力在庁官人であった。
官途名は千葉介(ちばのすけ)。
相馬御厨=
大治5年(1130年)6月11日、千葉氏の祖である父・平常重は所領の「相馬郡布施郷」を伊勢神宮に下総相馬御厨として寄進しその下司職となっていた。
しかし、保延2年(1136年)7月15日、下総守・藤原親通は、相馬郡の公田からの官物が国庫に納入されなかったという理由で常重を逮捕・監禁し、常重から相馬郷・立花郷の両郷を官物に代わりに親通に進呈するという内容の新券(証 ……