江藤新平(えとうしんぺい)
佐賀藩士、司法卿[日本]
(「佐賀の乱」を起こし、刑死)
1874年 4月13日 死去処刑享年41歳
江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)は、江戸時代後期の武士(佐賀藩士・権大参事)、明治時代の政治家、官吏、教育者。
幼名は恒太郎、又蔵。
諱は胤雄、胤風とも、号は南白または白南。
朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。
位階は贈正四位。
東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議、佐賀征韓党首を歴任。
立法・行政・司法がそれぞれ独立する「三権分立」を推進し、わが国近代司法体制の生みの親として「近代日本司法制度の父」と称される。
また、司法制度・学制・警察制度の推進と共に「四民平等」を説き浸透させた。
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江藤新平が亡くなってから、149年と350日が経過しました。(54772日)