林董(はやしただす)
幕臣、政治家、外相、伯爵[日本]
(松本良順の実弟)
1913年 7月20日 死去享年64歳
林 董(はやし ただす、1850年4月11日(嘉永3年2月29日)[* 1] - 1913年(大正2年)7月10日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。
伯爵。
蘭方医佐藤泰然の五男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。
幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。
変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
生涯=
外国留学・箱館戦争に加わる=
慶応2年(1866年)11月1日英国留学の為出発の途中。
後列向かって右より外山捨八(正一)、林桃三郎(董)、福沢英之助、杉徳三郎、億川一郎、安井真八郎、岩佐源二。
前列向かって右より市川盛三郎、箕作奎吾、成瀬錠五郎、中村敬輔(正直)、レベレンド・ウィリヤム・ロイド、川路太郎(寛堂)、伊東昌之助(岡保義)。
最前列箕作大六(菊池大麓)。
嘉永3年(1850年)、下総佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)の蘭方医佐藤泰然・たき夫妻の末子として生まれた。
幼少期に佐倉藩の藩校成徳書院(後に千葉県立佐倉高等学校)にて学ぶ。
文久2年(1862年)、姉つるの夫で江戸幕府御典医林洞海の養子となり林董三郎と改名、両親と横浜に移り住み初めはアメリカ商社ウォルシュ・ホール商会の館員やアメリカ領事館通訳ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)から英語を学んだが、本格的な英語を学ばせたい養父の望みで宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンのヘボン塾(後の明治学院大学)に通い、クララ夫人から英語や西洋事情 ……
林董が亡くなってから、111年と103日が経過しました。(40646日)