川崎正蔵(かわさきしょうぞう)
川崎重工業 創業者[日本]
1912年 12月2日 死去享年77歳
川崎 正蔵(かわさき しょうぞう、天保8年7月10日〈1837年8月10日〉 - 大正元年〈1912年〉12月2日)は、日本の実業家、政治家。
神戸川崎財閥の創設者。
川崎造船所(現・川崎重工業)創業者。
美術蒐集家。
川崎美術館(日本で最初の私立美術館)建設。
貴族院議員。
幼名・磯治。
別名、利右衛門。
従五位。
隠居後は米寿まで生きることを願って「川崎米年蔵」を名乗った。
人物=
薩摩国鹿児島城下下町大黒町(現在の鹿児島県鹿児島市大黒町)生まれ。
父は呉服商、川崎利右衛門。
15歳頃から家系を助けるため、幕末に廻船・海運業で活躍した薩摩藩御用商人・浜崎太平次の経営する山木屋の店員として就職する。
17歳となった嘉永6年(1853年)に山木屋の長崎支店に赴任する。
藩命によって金・米を扱った。
鹿児島と長崎で貿易、海運、造船などの事業を経営する訓練を受けた正蔵は、薩摩藩や幕府の近代的洋式船舶から多くの刺激を得る。
山木屋長崎支店に住み込みで働きながら、日中は近くの中華街や出島のオランダ商館へ出かけて輸出入業務に励み、夜は外国語の勉強に時間を費やした。
その後、山木屋の大番頭となるが、太平次が没した文久3年(1863年)に大阪へ移り自分の店を開いた。
鹿児島町吏、さらに大坂の蔵屋敷用達を命ぜられたが、貿易に着目して藩庁を説き、西洋型帆船を数隻購入して薩摩国産物を畿内に輸送し、巨利を博した。
明治4年(1871年)に上京。 ……
川崎正蔵が亡くなってから、111年と312日が経過しました。(40855日)