箕作麟祥(みつくりりんしょう)
法学者、政治家、男爵[日本]
1897年 11月29日 死去享年52歳
箕作 麟祥(みつくり りんしょう / あきよし、1846年9月19日(弘化3年7月29日) - 1897年(明治30年)11月29日)は、幕末から明治時代の日本の幕臣・官僚、洋学者、法学者。
男爵。
法学博士。
元老院議官、司法次官、貴族院勅選議員、行政裁判所長官、和仏法律学校(現・法政大学)初代校長を歴任し、民法・商法編纂委員、法律取調委員会委員、法典調査会主査委員を務めた。
名称=
明治5年に仮名と実名(諱)の併用が禁止された時、苗字+仮名の「箕作貞一郎」を改め、苗字+諱の「箕作麟祥」と改名(※祥は実際には旧字体)。
「麟祥」は易経か書経に由来するという(黒田綱彦証言)。
ところが、名乗りの読みを提出せよと命じられたところ、「リンショウ」の読みは知っているが親がどういうつもりで名付けたか知らない、一般的にどう読むのかもわからないというのが本人の認識であった。
鷲津毅堂に「アキヨシ」を提案されたのでそれに決めた、とされている(佐原純一証言)。
実際に当時の人々がそう呼んだかは不明。
国立国会図書館は「りんしょう」の読みを採用している。
人物=
箕作省吾・しん夫妻の長男として江戸の津山藩邸に生まれた。
幼名は貞太郎(のち貞一郎)。
祖父は蘭学者の箕作阮甫で、父・省吾は阮甫の婿養子、母・しんは阮甫の四女だったが、父・省吾が若くして亡くなったので祖父・阮甫に育てられた。
阮甫の死後、箕作家の家督を相続した。
従兄に ……
箕作麟祥が亡くなってから、126年と356日が経過しました。(46378日)