ギュスターヴ・エミール・ボアソナードGustave Émile Boissonade de Fontarabie
法学者[フランス]
1910年 6月27日 死去享年86歳

ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ド・フォンタラビー(Gustave Émile Boissonade de Fontarabie、1825年6月7日 - 1910年6月27日)は、フランスの法学者、教育者。
近代日本の太政官法制局御用掛、元老院御用掛、外務省事務顧問、国際法顧問、法律取調委員会委員等を歴任。
勲一等旭日大綬章受章。
明治初期に来日したお雇い外国人の一人。
近代日本の国内法の整備に大きな貢献を果たし「日本近代法の父」と呼ばれている。
名称=
明治20年代頃はもっぱらボアソナードと発音されたが、ボワソナード、ボワッソナード、ボワソナアドとも表記される。
また1856年までの彼の論文を検索するときにはGustave Butoryに拠らなければならない事に注意が必要である。
すなわち、父は貴族の家系であるのに対し、母マリイ・ローズ・アンジェリク・ブウトリイの出自が低かったためか、両者は長期にわたって同居していたものの入籍しておらず、正式に婚姻したのは最晩年になってからである。
婚外子は父の家名を名乗れないため、ギュスターヴは準正により嫡出子の地位を獲得するまでその名を名乗っていた。
人物=
ヴァル=ド=マルヌ県ヴァンセンヌ出身。
父ジャン・フランソワ・ボアソナードはパリ大学教授で著名な西洋古典学者(ギリシャ語の研究)。
普仏戦争ではパリに篭城した。
1873年(明治6年)に、鮫島尚信から依頼を受けて日本人留学生へ法律学を教えるが、これがきっかけとなり、同年にお雇 ……
ギュスターヴ・エミール・ボアソナードが亡くなってから、114年と279日が経過しました。(41918日)