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後西天皇(ごさいてんのう)

第111代天皇[日本]

(貞享2年2月22日崩御)

1685年 3月26日 死去享年47歳

後西天皇 - ウィキペディアより引用

後西天皇(ごさいてんのう、1638年1月1日〈寛永14年11月16日〉 - 1685年3月26日〈貞享2年2月22日〉)は、日本の第111代天皇(在位: 1655年1月5日〈承応3年11月28日〉- 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉)。
諱は良仁(ながひと)。
幼名は秀宮。
世襲親王家の高松宮(有栖川宮)第2代当主。
別名は花町宮(はなまちのみや)、花町殿。
後水尾天皇の第八皇子。
母は左中将櫛笥隆致の女で後水尾典侍の藤原隆子(逢春門院)。
従弟に仙台藩主(3代)伊達綱宗がいる。
生涯[編集] はじめ世襲親王家の高松宮初代好仁親王の王女を娶って高松宮第2代を継承し、花町宮(花町殿)(はなまちのみや)と称した。
即位の前年には兄である後光明天皇の名代として江戸に下っている。
後光明天皇が崩御した時、同帝の養子になっていた実弟識仁親王(霊元天皇)はまだ生後間もなく他の兄弟は全て出家の身であったために、識仁親王が成長し即位するまでの繋ぎとして、1655年1月5日(承応3年11月28日)に践祚した。
このため、世襲親王家の高松宮(花町宮)はしばらく途絶え、1667年(寛文7年)に、皇子の幸仁親王が高松宮第3代を継承、1672年(寛文12年)に宮号を有栖川宮に変更した。
本来は宮家を継ぐべき人物が突発的な事情で皇位を継承し、なおかつ最初から将来的な弟への譲位も確定していたため、父の後水尾法皇による院政によって朝廷が運営されることになった。
1663年(寛文3年)1月26日、10歳に成長した ……

推定関連画像

後西天皇が亡くなってから、339年と120日が経過しました。(123940日)