棟方志功(むなかたしこう)
板画家 (版画家)[日本]
1975年 9月13日 死去享年73歳
棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。
従三位。
最晩年には約半年間、棟方志昂と改名した。
青森県青森市出身。
川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。
1942年(昭和17年)以降、棟方は版画を「板画」と称し、一貫して木版の特性を生かした作品を作り続け、その偉業から板画家として世界的に知られる。
墨書や「倭画」(やまとえ)と名付けた肉筆画も残している。
来歴=
1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの十五人きょうだい(九男六女)の三男(第六子)として生まれる。
豪雪地帯出身の影響で、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となる。
1910年(明治43年)、長島尋常小学校(現在の青森市立長島小学校)に入学する。
幼少期から家業を手伝うかたわら、善知鳥神社の祭りの灯篭の牡丹絵や凧の絵に惹かれ、自然美とは異なる、人工美としての絵画に目覚め、自然と絵心も育まれていった。
1915年(大正4年)10月、棟方は大日本帝国陸軍 第八師団の演習中に校舎の裏に不時着した複葉機に走り寄り、水田の川でつまづいて転ぶ。
倒れた棟方は目の前に咲いていたオモダカの花の美しさに感動し、この美しさを表現することを決意する。
1920年(大正9年)、棟方が十八歳のとき父親が隠居し鍛冶屋を廃業、棟方は青森地方裁判所弁護士控所の給仕となる。
棟方は勤務中 ……
棟方志功が亡くなってから、49年と70日が経過しました。(17967日)