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富本憲吉(とみもとけんきち)

陶芸家[日本]

1963年 6月8日 死去享年78歳

富本憲吉 - ウィキペディアより引用

富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月5日 - 1963年(昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。
人間国宝、文化勲章受章者。
尾竹紅吉は妻。
映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男。
経歴[編集] 妻の富本一枝とともに(1923年11月6日) 大阪府平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学ぶ。
東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻。
在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響され1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。
ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。
ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡る。
実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国。
清水組(現・清水建設)に入社するが、ほどなく退社。
1912年(明治45年)『美術新報』に「ウイリアム・モリスの話」を発表。
その後来日していたバーナード・リーチと出会い、交友を深めてゆく。
リーチは陶芸に熱中しており、陶芸家の六代目尾形乾山に学んでいた。
富本も影響を受けて興味を持つようになり、1913年(大正2年)に故郷の裏庭に簡単な窯を作り楽焼作りを始める。
1914年(大正3年)『青鞜』の同人で「新しい女」として評判だった尾竹紅吉(尾竹一枝)と結婚する。
1915年(大正4年)、故郷奈良に本格的な窯を築きいっそう創作に励む。
独 ……

推定関連画像

富本憲吉が亡くなってから、61年と45日が経過しました。(22325日)