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中村不折(なかむらふせつ)

書家画家[日本]

1943年 6月6日 死去脳溢血享年78歳

中村不折 - ウィキペディアより引用

中村 不折(なかむら ふせつ、1866年8月19日(慶応2年7月10日) - 1943年(昭和18年)6月6日)は、明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家。
正五位。
太平洋美術学校校長。
夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られる。
本名:中村鈼太郎(なかむら さくたろう)。
中国の書の収集家としても知られ、唐代の書家である顔真卿の現存する唯一の真蹟といわれる「顔真卿自書建中告身帖」などを収集し、1936年に台東区根岸の旧宅跡に書道博物館(現:台東区立書道博物館)を開館した。
経歴[編集] 生い立ち[編集] 伊那市立高遠図書館にある不折の書 父・源蔵、母・りゅうの子供として江戸の京橋八丁堀(現:中央区湊)に生まれる。
幼名は鈼太郎。
1870年には明治維新の混乱を避け、一家をあげ父の郷里の長野県高遠(現:長野県伊那市)へ帰る。
幼少より絵を好み、物の形を写すことを楽しみとした。
19歳の時、北原安定に漢籍、真壁雲卿に南画、白鳥拙庵に書を学ぶ。
西高遠学校授業生(代用教員)となる。
21歳の時、西伊那部学校の助教となる。
22歳の時、飯田小学校で図画・数学の教師となる。
担任生徒に後の菱田春草、樋口龍峡がいた。
夏期休暇を利用して河野次郎に洋画の初歩を学ぶ。
上京と正岡子規との出会い[編集] 中村不折・いと夫妻 1887年4月に上京し、高橋是清の館に住み込みながら、画塾「不同舎」に入門。
小山正太郎に師事し絵を学んだ。
25歳 ……

推定関連画像

中村不折が亡くなってから、81年と50日が経過しました。(29635日)