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勅使河原蒼風(てしがはらそうふう)

華道家、草月流 創始者[日本]

1979年 9月5日 死去享年80歳

勅使河原蒼風 - ウィキペディアより引用

勅使河原 蒼風(てしがはら そうふう、1900年12月17日 - 1979年9月5日)は、日本の芸術家。
いけばな草月流の創始者。
1927年草月流を創流。
勅使河原霞(草月流 2代目家元)、勅使河原宏(同 3代目家元)の父、勅使河原茜(同 4代目家元)の祖父。
「草月」は、勅使河原家の家紋「根笹に三日月」に由来する。
来歴・人物= 1896年10月に日本生花学会(現 勅使河原和風会)を設立・主宰した華道家・勅使河原久次(初代勅使河原和風)を父として、1900年大阪に生まれる。
本名は鉀一(こういち)。
1928年5月5日-7日、東京銀座千疋屋で第1回草月流花展を開催。
『主婦之友』1929年1月に廃物利用の花器に盛った庶民的生け花を発表。
いけばなにおいて斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた(1955年パリ個展の盛況で、フランスのフィガロ、米タイム誌(1978年1月30日号 Vol.111 No.6)等でそう賞賛された)。
既存の華道の世界において重要な型を否定、自由ないけばなを提唱したため異端視された。
しかし1957年、フランスから来日した前衛芸術の評論家ミシェル・タピエが蒼風の作品を絶賛し世界に紹介したことにより国際的な評価が高まるとともに日本でも認知されるようになる。
1959年のバルセロナ個展に感激したサルバドール・ダリに自宅に招かれ、流木のオブジェを制作し、柔和な表情のダリと談笑する映像が残されている。
1966年にはミロ展のために来日したミロ夫妻が草月会館に来訪 ……

勅使河原蒼風が亡くなってから、45年と78日が経過しました。(16514日)

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