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梶井基次郎(かじいもとじろう)

作家[日本]

1932年 3月24日 死去肺結核享年32歳

梶井基次郎 - ウィキペディアより引用

梶井 基次郎(かじい もとじろう、1901年(明治34年)2月17日 - 1932年(昭和7年)3月24日)は、日本の小説家。
感覚的なものと知的なものが融合した簡潔な描写と詩情豊かな澄明な文体で、20篇余りの小品を残す。
散歩を書いた作品が多い。
文壇に認められてまもなく、31歳の若さで肺結核で没した。
死後次第に評価が高まり、今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている。
その作品群は心境小説に近く、自らの身辺を題材にしている事も多いが、日本的自然主義や私小説の影響を受けながらも、感覚的詩人的な側面の強い独自の作品を創り出した。
梶井基次郎は当時のごくふつうの文学青年の例に漏れず、森鴎外や、志賀直哉などの白樺派、大正期デカダンス、西欧の新しい芸術などの影響を強く受けていると見られ、表立っては新しさを誇示するものではなかったが、それにもかかわらず、梶井の残した短編群は珠玉の名品と称され、世代や個性の違う多くの作家たち(井伏鱒二、埴谷雄高、吉行淳之介、伊藤整、武田泰淳、吉田健一、三島由紀夫、中村真一郎、福永武彦、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三、開高健など)から、その魅力を語られ賞讃されている。

かじいもとじろう [生]1901.2.17.大阪,大阪[没]1932.3.24.大阪小説家。第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に学んだが,結核を病んで中退。在学中の1925年同人雑誌『青空』を創刊し,この年に『檸檬』『城のある町にて』『泥濘(でいねい)』『路上』『橡(とち)の花』など,青春の虚無と退廃の詩情を繊細な文体で綴った秀作を同誌に次々と発表したが,文壇からはまったく黙殺された。1926年病状悪化のため伊豆湯ヶ島温泉に移り,その後病める自意識の心象風景を描いた『冬の日』(1927)を発表して翌1928年に上京,ボードレール風な幻想性に富む散文詩『桜の樹の下には』(1928)などでようやく文壇の注目を集めるようになった。しかし病重く,大阪の両親のもとに戻った。1930年創作にとりかかり,性の感覚的表現に新境地を開いた『愛撫(あいぶ)』(1930),『闇の絵巻』(1930),『交尾』(1931)を書いた。この間,淀野隆三ら旧『青空』の同人が彼の才能を惜しみ,梶井の作品18編による創作集『檸檬』(1931)を出版した。これを機に初めて『中央公論』から依頼を受け,『のんきな患者』(1932)を発表,大阪での療養生活を描いて,苦悩を突きつめた明るさの予兆に作風の転換を思わせ,文壇の認めるところとなったが,この作品が絶筆となった。鋭い感受性と的確な表現に恵まれた作家で,その透徹した作風は死後ますます高く評価され,1934年『梶井基次郎全集』が出版された。 (引用元 コトバンク)