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外村繁(とのむらしげる)

作家[日本]

1961年 7月28日 死去上顎がん享年60歳

外村繁 - ウィキペディアより引用

外村 繁(とのむら しげる、1902年〈明治35年〉12月23日 - 1961年〈昭和36年〉7月28日)は、日本の小説家。
本名は外村 茂(とのむら しげる)。
東京帝国大学経済学部卒。
出自である近江商人の世界を客観的に描いた『草筏』で注目され、『筏』『花筏』と共に長編三部作を成して高く評価された。
『落日の光景』『澪標』は私小説の極致と評される。
来歴[編集] 滋賀県神崎郡南五個荘村金堂(現・東近江市五個荘金堂町)出身。
金堂は近世から近代にかけて近江商人発祥地として栄えた土地である。
外村家も江戸時代から代々続く木綿問屋で、茂は外村吉太郎の三男として生まれ、保守的な環境で育つ。
滋賀県立膳所中学校卒業。
第三高等学校文科甲類卒業。
東京帝国大学経済学部卒業(本人は文学部志望であったが、親の意向で経済学部に進学していた)。
大学在学中の1925年(大正14年)1月、第三高等学校時代から「三高劇研究会」で親交のあった梶井基次郎や中谷孝雄らと同人誌『青空』を創刊した。
11月に川端康成の同人誌『文藝時代』から文芸時評を依頼されて寄稿するが、名前を誤植され「外村繁」と印刷されたため、以後それを筆名とした。
大学卒業後、父親が急逝したため家業を継ぐが、やがて弟に家業を譲り、1933年(昭和8年)に阿佐谷へ移って小説家として再出発、「阿佐ヶ谷文士村」に入った。
『鵜の物語』を発表。
中谷の紹介で『麒麟』同人となる。
1935年(昭 ……

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外村繁が亡くなってから、62年と364日が経過しました。(23010日)