鏑木清方(かぶらききよかた)
日本画家[日本]
1972年 3月2日 死去享年95歳
鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治期から昭和期にかけての浮世絵師・日本画家・随筆家。
なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。
近代日本の美人画家として上村松園、彼の門下より出た伊東深水と並び称せられる。
清方の作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。
経歴=
清方は1878年、東京・神田佐久間町に生まれた。
本名は健一。
元は條野(条野)姓であったが、1895年に母方の家督を継ぎ鏑木姓となった。
父は条野採菊といい、ジャーナリストでありながら山々亭有人と号した幕末の人情本作家であった。
13歳となる1891年(明治24年)7月、浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。
翌年には家庭の事情により神田の東京英語学校をやめ、画業に専心している。
1893年(明治26年)に師の年方から「清方」の雅号を贈られた。
この頃の清方は鷺流の狂言も学んでおり、同年には日本橋倶楽部で狂言師として初舞台も踏んでいる。
17歳ころから清方の父親・採菊が経営していた「やまと新聞」に挿絵を描き始め、続いて「東北新聞」や「九州日報」などの地方新聞や諸雑誌などに挿絵を描き、十代にしてすでにプロの挿絵画家として活躍していた。
師である年方もまた「やまと新聞」に挿絵を描いており、年 ……
鏑木清方が亡くなってから、52年と264日が経過しました。(19257日)