福富太郎 氏(ふくとみたろう)
経営者[日本]
2018年 5月29日 死去老衰享年88歳
福富 太郎(ふくとみ たろう、1931年(昭和6年)10月6日 - 2018年(平成30年)5月29日)は、東京都出身の実業家、絵画蒐集家。
本名中村勇志智。
創業したキャバレーハリウッドは最盛期にFC店を含め、全国に44店舗を構え、キャバレー太郎、キャバレー王の異名をとった。
人物=
東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区)に生まれる。
1943年(昭和18年)東京府立園芸学校(現在の東京都立園芸高等学校)入学後は朝5時登校でイモ作りに励む。
1945年(昭和20年)5月24日、家が空襲で焼け、家人は親類の家に移るが、自分ひとり自宅裏に防空壕を掘って住む。
敗戦後も穴蔵暮らしを続け、手作りイモ飴を売った金で農家からイモを買い出し、ヤミ屋をしてしのぐ。
1947年(昭和22年)秋、学校を中退。
銀座のティールーム「ニューギンザ」に採用され、ボーイとは名ばかりの雑用係ではあったが、水商売の第一歩を踏み出す。
翌年には店の隣の中華料理店に仕事ぶりを見込まれ引き抜かれるが、銀座のダンスホール「メリーゴールド」に転職する。
1949年(昭和24年)秋、キャバレー「新宿処女林」の開店時よりボーイとして住み込みで働き始める。
本名・勇志智はボーイとしては立派すぎるので、勇吉と名乗り、喜劇俳優・グルーチョ・マルクスにならってヒゲを描き、「ヒゲのボーイ」として親しまれる。
2年後の1月、開店以来1日も休まず働いたことから、一躍支配人に抜擢され、名前も出世魚のごと ……
福富太郎さんが亡くなってから、6年と176日が経ちました。(2368日)