米倉斉加年 氏(よねくらまさかね)
俳優、絵本作家[日本]
2014年 8月26日 死去腹部大動脈瘤破裂享年81歳
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。
来歴・人物=
福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。
福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。
高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。
戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。
推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。
演劇部で演劇に没頭する。
1954年には、中退し単身東京へ。
松村達雄が創立した劇団五十人劇場に入る。
しかし1年あまりで解散。
福岡に帰り結婚する。
そして1957年に劇団民藝水品演劇研究所に3期生として入る。
1959年には研究所の廃止を受けて、岡村春彦や常田富士男らとともに、劇団青年芸術劇場(通称・青芸’59~’67)を旗揚げする。
劇団民藝第三稽古場を無料で使用しての旗揚げであった(後に家賃を払う)。
顧問として、劇団民藝の宇野重吉、滝沢修、観世栄夫、福田善之、林光も参加し、別役実のデビュー作の上演するなど、小劇場運動の黎明期の中心であった。
青芸とも関わった、評論家の菅孝行はこの劇団について「安保闘争のデモは皆勤だった劇団」と語っている。
米倉斉加年さんが亡くなってから、10年と48日が経ちました。(3701日)