朝井閑右衛門 氏(あさいかんえもん)
洋画家[日本]
1983年 4月23日 死去享年82歳
朝井 閑右衛門(あさい かんえもん/あさい かんうえもん、出生名:浅井 實(みのる)、1901年1月24日 - 1983年4月23日)は、日本の洋画家。
戦前は官展や光風会で活躍、戦後は新樹会や国際形象展を結成し、油彩の厚塗りで強烈な個性を発揮した。
常に画壇の第一線で活躍しながら画集もなく、また本格的な個展も開催することがないなど、特異な生涯を貫いた。
同じモチーフを繰り返し描くことが多く、「バラの画家」「ドン・キホーテに憑かれた画家」とも呼ばれる。
生涯=
「
彼は絵具を耕した
」
—草野心平
幼少期=
大阪市立恵美小学校
明治34年(1901年)1月24日、大阪府大阪市南区恵美須町(現在の浪速区恵美須西)の今宮戎神社の南門近くで、浅井繁熊(25歳)、ヒサ(27歳)の長男として生まれる。
本名は「浅井 實(みのる)」。
幼い頃から身の回りのものに手当たり次第に絵を描いており、特にトイレットペーパーに描かれた手の絵は不気味なほど本物そっくりだったという。
2人の間には長女アイ子、長男實、次女静子、次男孝、三男三郎、三女つたこ(4歳で養子に出される。
現姓木村)、四男正男(生後1ヶ月で夭逝)の四男三女が生まれている。
浅井家はさらに祖父母と叔母(父の妹)せい、カネ、さらには居候や書生なども含めた大家族だった。
繁熊は明治9年(1876年)2月15日、大阪府西成郡難波村大字難波(現在の浪速区日本橋)で浅井清五郎、かん(紀州藩士・宮地権右衛門 ……
朝井閑右衛門が亡くなってから、41年と213日が経過しました。(15188日)