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志賀暁子 氏(しがあきこ)

女優[日本]

1990年 9月17日 死去享年81歳

志賀 暁子(しが あきこ、1910年(明治43年)6月17日 - 1990年(平成2年)9月17日)は、日本の女優である。
絶頂期に堕胎事件で有罪になったことで知られる。
来歴・人物= 京都府生まれ。
父は高級官僚、母は牧師であり第8代同志社総長の海老名弾正の縁戚にあたる。
1924年、父親の台湾総督府への赴任にともない、台北の高等女学校へ進学。
ピアニスト志望の文学少女であったという。
実母とは女学校2年の時に死別。
長崎の活水女学校へ転校、クリスチャンになる。
まもなく父は再婚した。
女学校卒業後、一家で世田谷区へ転居。
音楽学校への進学を希望していたが、父は反対。
これには家産が傾いていた事も影響していた。
音楽学校の学費を自ら捻出すべく、家出して日本橋のユニオン・ダンスホールでダンサーとなったが、ダンスホールに来た客で、のちに彼女の愛人になった人気俳優の中野英治の推薦で1929年帝国キネマと19歳の時に映画出演契約。
「城えり子」の芸名で、若き血に燃ゆる者(1930年公開・木村恵吾監督・中野英治主演)で映画デビューが決まった。
しかし同年、撮影が始まって間もないある日、中野の妻である人気女優の英百合子が撮影所の表門で、夫の不倫相手である彼女をいきなり衆人環視の中で何度も激しく殴打するという事件が起きた。
志賀は抵抗せずに殴られっぱなしだった。
中野は妻の英とも、愛人の志賀とも直ぐに別れることになった。
その後、銀 ……

志賀暁子さんが亡くなってから、34年と65日が経ちました。(12484日)

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