蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)
戦国武将[日本]
(天正14年5月22日没)
1586年 7月8日 死去享年61歳
蜂須賀 正勝(はちすか まさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
豊臣秀吉の股肱の家臣。
播磨龍野城主。
徳島藩主蜂須賀家の家祖。
初名は利政。
通称は小六(ころく)もしくは小六郎(ころくろう)、後に彦右衛門(ひこえもん)と改名しているが、『太閤記』の役名である蜂須賀小六の名で広く知られている。
官位は従四位下、修理大夫。
生涯=
蜂須賀正勝生誕地(蜂須賀城跡)に立つ「蜂須賀正勝公碑」(愛知県あま市蜂須賀蓮華寺前)
出自と前歴=
蜂須賀氏は尾張国海東郡蜂須賀郷を拠点とした国衆で、正勝は大永6年(1526年)、蜂須賀正利の長男として蜂須賀城に生まれた。
生母は不明であるが、その生母は彼が6歳の時、享禄4年11月7日(1531年12月15日)に亡くなったという。
『武功夜話』では、川並衆という木曽川の水運業を行うことで利益を得ていた集団の1つであったとされているが、信憑性には疑問が呈されている。
稲田大炊助(貞祐)、青山新七(昌起)らと土豪勢力をなしていたようであるが、詳しいことはわかっていない。
しかし少なくとも父・正利の代より美濃斎藤氏に仕えていたようであり、それが理由で織田信秀方に付いた一族とは敵味方に分かれていた。
天文22年(1553年)2月25日の父の死後、正勝は郷里を出て斎藤道三に近侍した。
濃尾の争いで道三にしばしば用いられ、初名の利政も道三より偏諱を受けたものらしい。
弘治2年(155 ……
蜂須賀正勝が亡くなってから、439年と239日が経過しました。(160584日)