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山茶花究(さざんかきゅう)

俳優、芸人[日本]

1971年 3月4日 死去心不全享年58歳

山茶花究 - ウィキペディアより引用

山茶花 究(さざんか きゅう、本名:末広峰夫(すえひろ みねお)、1914年4月1日 - 1971年3月4日)は、日本の俳優、芸人。
人物と生涯= 大阪府大阪市出身。
生家は船場でも指折りの米問屋だったが、米騒動のあおりを受けて倒れる。
兵庫県立神戸工業学校の建築科に入り、建築会社への就職が決まっていたが、実兄が東京で画家の修行をしていたことから、自らも画家の道が捨てきれず、卒業試験をすっぽかして単身東京へ行く。
この頃、社会主義思想に傾倒し、特高にも目をつけられ、尾行を巻いているうちに浅草のレビュー小屋に潜り込んで、そのまま文芸部員としてレビューの台本を書いたり、また歌手として舞台で歌ったりして生計を立てるようになる。
1932年11月にカジノ・フォーリーで歌手としてデビュー。
1933年1月に浅草オペラ館の俳優となる。
その後エノケン劇団、万盛座のグラン・テッカール、「吉本ショウ」などを転々とする。
当時は笠井峰と名乗っていた。
のち大阪に戻り、いくつかの舞台に立つが、芽が出ずに俳優を辞めて朝鮮に行き、実業につく。
1937年8月、東宝のロッパ一座に入り役者に復帰。
このとき一緒に入ってきた森繁久彌と出会う。
ここで芸名を加川久と名乗る。
1939年3月、当時ヴォードヴィルグループ「あきれたぼういず」が絶大な人気を得ていたが、リーダーの川田義雄を残して、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英の3人が吉本興業から松竹系の新興キネマ演 ……

山茶花究が亡くなってから、53年と263日が経過しました。(19621日)