木村重信 氏(きむらしげのぶ)
美術史家[日本]
(元国立国際美術館長)
2017年 1月30日 死去肺炎享年93歳
木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 - 2017年1月30日)は、日本の美術学者(民族芸術学・近現代美術史)。
大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、兵庫県立美術館名誉館長。
位階は従四位。
勲等は勲三等。
京都市立美術大学美術学部教授、大阪大学文学部教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを務めた。
経歴=
生い立ち=
1925年、京都府綴喜郡青谷村(現:城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの二男として出生。
姉、兄、弟、妹6人兄弟の3番目であった。
青谷小学校を経て、京都市立第一商業学校を優等生で卒業。
優等賞として寺内製の腕時計を授与された。
名古屋高等商業学校(名古屋経済専門学校)を学徒動員により繰上げ卒業。
1944年10月、特別甲種幹部候補生(特甲幹)として豊橋陸軍予備士官学校入校、陸軍伍長任官。
在校中野外訓練で腕時計を紛失、隊友達も協力したが見つからなかった。
1945年3月に陸軍軍曹、6月に成績優等で卒業すると共に陸軍曹長となり見習士官を命ぜられて広島師管区の歩兵補充隊に配賦とされた。
本籍が京都であったため、7月に京都師管区の歩兵補充隊へ異動の上、三重県の志摩半島に展開する歩兵第442連隊へ到着、連隊旗手要員を拝命した。
部隊は本土決戦の準備を行なっており、蛸壺構築などを続けた。
終戦を迎えた後に陸軍少尉へと任官、9月に一般の将兵が復員してゆく中 ……
木村重信さんが亡くなってから、8年と61日が経ちました。(2983日)