針生一郎 氏(はりういちろう)
評論家[日本]
(前美術評論家連盟会長)
2010年 5月26日 死去急性心不全享年86歳
針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 2010年5月26日)は、日本の美術評論家、文芸評論家。
和光大学名誉教授。
映画プロデューサー針生宏は弟。
人物=
宮城県仙台市生まれ。
旧制第二高等学校卒業、東北大学文学部卒業。
東京大学大学院で美学を学ぶ。
大学院在学中、岡本太郎、花田清輝、安部公房らの「夜の会」に参加。
1953年、軍国少年だったことへの反省から日本共産党に入党したが、1961年、60年安保闘争時の時の共産党の指導方針を批判して除名される。
反権威的な美術評論・文芸評論で活躍、日本藝術院批判の急先鋒でもあった。
1970年の大阪万博に反対。
第三世界にも目を向けた活動を行った。
1974年4月、朴正熙の独裁政権に反対するデモを起こした大学生らのうち180人が拘束される「民青学連事件」が発生。
7月16日までに、金芝河ら14人に死刑、15人に無期懲役、日本人の太刀川正樹と早川嘉春を含む26人に懲役15年から20年の刑が科せられた。
7月21日に金の死刑は無期懲役に減刑されるも、針生、金達寿、鶴見俊輔、李進熙ら4人は「金芝河氏ら全被告を釈放せよ」と抗議し、7月27日から30日にかけて数寄屋橋公園でハンガー・ストライキを行った。
新日本文学会の活動に積極的に参加し、2005年の会の解散時には議長の任にあたっていた。
国際美術展などのプランナーとしても活躍。
ヴェネツィア・ビエンナーレ(1968年)、サンパウロ・ビエンナーレ(1977年、1979年 ……
針生一郎さんが亡くなってから、14年と310日が経ちました。(5424日)