大橋翠石(おおはしすいせき)
日本画家[日本]
1945年 8月31日 死去老衰享年81歳
大橋 翠石(おおはし すいせき、慶応元年4月22日〈1865年5月16日〉- 1945年〈昭和20年〉8月31日)は、明治中期から昭和前期にかけて日本で活動した日本画家。
虎の絵を多く描き、パリ万国博覧会 (1900年)において日本人で唯一の金牌を受けるなど欧米でも高く評価された。
出身地は美濃国安八郡大垣町内(現・岐阜県大垣市新町2丁目)。
本名は 大橋 卯三郎( - うさぶろう)。
通称として宇一郎(ういちろう)を用いた。
著名な親族として、大橋万峰こと実兄の大橋鎌三郎(日本画家)と娘婿で弟子の大橋翠邦(大橋翠峰)がいる。
概説=
世に「虎の翠石」として名高い。
特に長い冬毛が美しいアムールトラを多く画題に選び、その描くところの虎は毛の描写の細かさ、威風堂々とした体躯、生きているように鋭い眼光や動きを表現していると評価されている。
虎の毛を描くため、刷毛に似た筆を自作するほどのこだわりようであった。
翠石の前半生を著した濱田篤三郎[* 2]によれば、若き日の翠石の手になる虎図を目にしたある人は驚嘆して次のように激賞したという。
円山応挙ハ虎皮ヲ写シ、岸駒は虎頭ヲ写ス、翠石ノ斯ノ画ニ於ケル、遥ニ、二者ニ超越シテ、全身ノ活現毫モ間然スル所ナシ、ソノ手法ノ非凡ナル、古人亦遠ク逮ハス。
— 濱田篤三郎、『千里一走』高嘯会、1914年(大正3年)刊。
緻密な毛書きが施された翠石の虎図は、1900年にフランスで開かれたパリ万国博覧会に ……
大橋翠石が亡くなってから、79年と94日が経過しました。(28949日)