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佐分眞(さぶりまこと)

画家[日本]

1936年 4月23日 死去自殺享年39歳

佐分 眞(さぶり まこと、1898年(明治31年)10月8日 - 1936年(昭和11年)4月23日)は、大正期昭和期に活躍した日本の洋画家。
レンブラントの影響を受けリアリズムに傾倒した堅実な画風を築いた。
長男は慶應義塾大学名誉教授でフランス文学者の佐分純一。
経歴= 愛知県名古屋市西区園井町(現・中区錦)に、資産家で第六代一宮町長の佐分慎一郎の庶子として生まれる。
母・田中たまは元芸者で、佐分との結婚前に有栖川宮熾仁親王との間にイクという名の娘をもうけていた(イクの子の一人に栄二がおり、大本教祖の出口王仁三郎の孫娘・直美と結婚した)。
叔父・田中徳次郎は中部電力の前身会社を興す。
愛知県立第一中学校在学中の1914年、複雑な家庭事情に悩み、自殺しようと家出するも三浦三崎で見つかる。
1915年上京して、郁文館中学校に転校、また川端画学校夜間部で学ぶ。
翌年、東京美術学校西洋画科に入学し、藤島武二に学ぶ。
1922年同校卒業し、土屋しげ子と結婚。
1924年第5回帝展に「静物」で初入選。
翌年白日賞を受賞、白日会会員に推される。
1926年、光風会賞受賞。
同年度美校卒業生によって結成された等迦会第1回展に出品、創立会員となるが、同年に妻・しげ子死去。
1927年から1932年まで二度にわたり渡仏。
滞在中はイタリアやスペインを旅行し、レンブラントやベラスケス、ゴヤの作品に感銘を受ける、また藤田嗣治、佐伯祐三、久米正雄、長岡輝子らと交流。 ……

佐分眞が亡くなってから、88年と175日が経過しました。(32317日)

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