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梅原龍三郎 氏(うめはらりゅうざぶろう)

画家[日本]

1986年 1月16日 死去肺炎享年99歳

梅原龍三郎 - ウィキペディアより引用

梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年〈明治21年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月16日)は、日本の洋画家。
京都府京都市下京区生まれ。
はじめ龍三郎、1914年(大正3年)までは梅原 良三郎(うめはら りょうざぶろう)と名乗り、再び龍三郎と名乗った。
ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。
昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。
来歴= 京都府京都市下京区生まれ。
生家は染物問屋だった。
京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)を中退し、伊藤快彦の画塾・鍾美会で学んだ後、浅井忠が主催する聖護院洋画研究所(現・関西美術院)に入った。
同時期に安井曾太郎も学んでいた。
1908年(明治41年)、後に美術史家となる田中喜作と共にフランスに留学。
翌年、帰国する高村光太郎のアトリエを引き継いでパリに滞在し、アカデミー・ジュリアンに通い、1909年(明治42年)からはルノワールに師事した。
1910年(明治43年)知人の有島生馬を通して「ルノワールやパリの芸術について」を雑誌『白樺』に寄稿している。
パリにて(1910年) 1913年(大正2年)に帰国すると、白樺社の主催により東京神田で個展「梅原良三郎油絵展覧会」を開催。
この時、白樺社同人の武者小路実篤・志賀直哉・柳宗悦らの知遇を得た。
翌1914年 ……

梅原龍三郎さんが亡くなってから、38年と282日が経ちました。(14162日)

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