吉田五十八(よしだいそや)
建築家[日本]
1974年 3月24日 死去結腸がん享年81歳
吉田 五十八(よしだ いそや、1894年(明治27年)12月19日 - 1974年(昭和49年)3月24日)は、昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家である。
東京生まれ。
東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)卒業。
母校で教壇に立ち、多くの後進を育てた。
生涯=
1894年、東京日本橋に太田信義(太田胃散の創業者)とトウ(銅)の間の5男第8子として生まれた。
父が58歳のときの子だからということで五十八と命名された。
その後4歳の時に父を、中学生の時に母を亡くしたため、長兄の妻の下で育てられた。
1909年、母方の姓が絶えるのを防ぐため養子として吉田姓を継いだ。
常盤尋常小学校、東京開成中学校(現・開成学園)を卒業。
中学在学中の同級生、久保寺保久(のち教育者)の強い勧めで建築を志し、1915年、東京美術学校図案科第2部に入学し、岡田信一郎に学ぶ。
大学には八年在籍し、在学中から住宅や店舗の設計を手がけた。
1923年に卒業すると、麻布の自宅に「吉田建築事務所」を開設した。
1925年、学生時代から心惹かれていたドイツ、オランダのモダニズム建築を見るため、兄の援助を受け、ヨーロッパ、アメリカを廻った。
この旅行留学でモダニズム建築よりも、ヨーロッパ各地に残るルネサンス建築、ゴシック建築といった古典建築の方に強い感銘を受けた。
これが吉田の建築観を大きく変えることになる。
吉田はヨーロッパの古典建築につ ……
吉田五十八が亡くなってから、50年と242日が経過しました。(18505日)