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山口蓬春(やまぐちほうしゅん)

日本画家[日本]

1971年 5月31日 死去享年77歳

山口蓬春 - ウィキペディアより引用

山口 蓬春(やまぐち ほうしゅん、1893年10月15日 - 1971年5月31日)は、大正時代から昭和時代後期にかけて活躍した日本画家。
本名、三郎(さぶろう)。
文化勲章受章者。
経歴= 同項目の多くは後述する「山口蓬春記念館」公式サイト内の「年譜」による。
北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。
日本銀行員だった父の転任に伴って松前や札幌に住んだ後、1913年に東京府(現東京都)高輪中学校を卒業後、1年間の志願兵として帝国陸軍に従軍した後に除隊し、1915年に東京美術学校(現東京芸術大学)に進学。
当初は西洋画学科だったが、1918年に中途退学の上で日本画学科へ再入学し、松岡映丘に師事し、大和絵を習得した。
この時期から「蓬春」の号を用いた。
1923年に同校を卒業後、1924年に映丘が設立した新興大和絵会に参加する。
本名の三郎と蓬春の2つの雅号を使いながら制作活動を続け1926年帝国美術院賞受賞。
同年には同門の狩野光雅から紹介された齋藤春子と結婚。
1929年帝展審査員、1930年には帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学の前身)教授に就任。
同年に福田平八郎や中村岳陵らと「六潮会」を設立し、翌1931年には新興大和絵会が解散し、1935年に蓬春は帝展審査員や帝国美術学校教授を辞任し、独自の制作活動を強めた。
太平洋戦争(大東亜戦争)期には戦争遂行に協力し、1943年には横山大観を会長とした日本美術報国会で日本画部の幹事長を務めた。
1945年4月、前 ……

山口蓬春が亡くなってから、53年と175日が経過しました。(19533日)