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橋本明治 氏(はしもとめいじ)

日本画家[日本]

1991年 3月25日 死去享年88歳

橋本明治 - ウィキペディアより引用

橋本 明治(はしもと めいじ、1904年(明治37年)8月5日 - 1991年(平成3年)3月25日)は、昭和期の日本画家、日本芸術院会員、日展常務理事、文化勲章受章者。
経歴= 1904年に橋本太一郎、トメ夫妻の長男として島根県那賀郡浜田町(現・浜田市田町)に生まれる。
祖父の市太郎は絵画や俳諧を愛好しており、明治はこの祖父の強い感化を受けて成長した。
1917年(大正6年)に浜田町立松原尋常小学校を卒業した後に高等科へと進み、1920年(大正9年)には島根県立浜田中学校へ入学した。
通信教育によって日本画を学び、中学4年となる1923年(大正12年)、妹をモデルとして描いた「ガラシャ婦人像」を島根県展に初めて出品し、入選を果たした。
この頃、明治は両親と祖父母を相次いで失っており、1924年(大正13年)には妹2人との3人家族となっている。
1925年(大正14年)に浜田中学校を卒業する。
1926年(大正15年)1月に上京し、川端画学校予備校を経て同年4月には東京美術学校日本画科へ入学する。
東山魁夷、加藤栄三らが同期であった。
美校では松岡映丘から指導を受け、在学中の1929年(昭和4年)の第10回帝展に「花野」が初入選した。
翌年の第11回帝展でも「かぐわしき花のかずかず」が続いて入選を果たし、1931年(昭和6年)に美校日本画科を首席で卒業した。
卒業後は同研究科へと進んだ。
同年から1937年(昭和12年)にかけて故郷の医師である浜田温の支援を受けている。
1937年の第一 ……

橋本明治さんが亡くなってから、33年と242日が経ちました。(12295日)

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