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有島生馬(ありしまいくま)

画家[日本]

1974年 9月15日 死去享年91歳

有島 生馬(ありしま いくま、本名・有島壬生馬、1882年〈明治15年〉11月26日 - 1974年〈昭和49年〉9月15日)は、日本の画家。
号は雨東生、十月亭。
神奈川県横浜市出身。
志賀直哉や児島喜久雄とは少年時代からの友人で、『白樺』創刊に参加し、代表作『蝙蝠の如く』を書いた。
長くヨーロッパに留学したが、その際、有島の恋人(女中)を志賀らに託し、帰国後、彼女と結婚の意志がないことを示したため、志賀との間に疎隔が生まれ、敗戦後、志賀は『蝕まれた友情』(1947年(昭和22年))を書いて絶交。
家族= 有島武郎の弟、里見弴の兄。
妻の信子は原田熊雄の妹でドイツとのクォーター。
妹のシマは医学者の高木喜寛に嫁いだ。
甥には武郎の長男である俳優の森雅之がおり、1923年(大正12年)に武郎が心中した後は彼の親代わりとなって育てた。
姪には高木喜寛・シマ夫妻の長女・園子がおり、西洋古典学者の呉茂一に嫁いだ。
一人娘の暁子は東京川崎財閥の3代目当主・川崎守之助に嫁いだ。
略歴= 有島生馬が命名した「琅鶴湖」(水内ダム)を記念する石碑。
大蔵省関税局長兼横浜税関長をしていた有島武とその妻・幸の次男として、横浜月岡町(現・老松町(横浜市))の税関長官舎で生まれる。
干支から「壬生馬(みぶま)」と名付けられたが、難読を嫌ってのちに「生馬」に改称。
父の職業や横浜という土地柄から外国人との交流も多く、兄姉とともに洋学教育を受ける一 ……

有島生馬が亡くなってから、50年と67日が経過しました。(18330日)

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