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安井曾太郎(やすいそうたろう)

画家[日本]

1955年 12月14日 死去肺炎享年68歳

安井曾太郎 - ウィキペディアより引用

安井 曾太郎(やすい そうたろう、1888年5月17日 - 1955年12月14日)は、大正から昭和にかけての洋画家。
梅原龍三郎と並び称された。
生涯= 安井曾太郎の胸像(於東京藝術大学) 1888年(明治21年)、京都市中京区で木綿問屋を営む商家の五男として生まれる。
1898年(明治31年)4月商業学校(京都市立商業学校)に入学するが、反対する親を説得し、1903年(明治36年)同校を中退して絵の道に進む。
1904年(明治37年)聖護院洋画研究所(のち関西美術院に発展)に入所し、浅井忠、鹿子木孟郎らに師事して絵を学び始める。
同時期、梅原龍三郎もここで学んでいた。
1907年(明治40年)4月、先輩画家の津田青楓が渡欧すると聞いた安井は、津田とともに渡欧することを決意した。
安井は、渡欧に際し、それ以前の作を焼き捨てたとのことで、安井の初期作品はほとんど現存していない。
フランスではアカデミー・ジュリアンに学んだ。
特にセザンヌに傾倒し、イタリア・ルネッサンス彫刻やエル・グレコの芸術にも影響を受けた。
7年ほどのフランス滞在の間にイギリス、イタリア、スペインなどへ旅行している。
1914年(大正3年)、第一次世界大戦が勃発しドイツがフランスに宣戦布告したことに加え、安井自身の健康も悪化していたため、日本へ帰国した。
翌1915年(大正4年)には第2回二科展に滞欧作44点を出品し、二科会会員にも推挙される。

安井曾太郎が亡くなってから、68年と343日が経過しました。(25180日)

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