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梶田半古(かじたはんこ)

日本画家[日本]

1917年 4月23日 死去享年48歳

梶田半古 - ウィキペディアより引用

梶田 半古(かじた はんこ、明治3年6月25日〈1870年7月23日〉 - 大正6年〈1917年〉4月23日)は、明治時代から大正時代にかけての日本画家。
本名は錠次郎(ていじろう)。
初め英洲と号す。
二度目の妻は尾崎紅葉門下の作家北田薄氷。
来歴[編集] 明治3年6月25日(1870年7月23日)、彫金師の梶田政晴の長男として東京下谷御徒町で生まれた。
家は代々幕府の鷹匠だったが、父は彫金を業としていた。
家業は弟が継ぎ、幼少から画才のあった半古は明治15年に下谷練塀尋常高等小学校を卒業すると、苦しい家計を助けるため、早朝から深夜まで輸出品の団扇・扇子やハンカチーフに絵を描いて問屋へ運んだという。
明治16年(1883年)13歳の時、浮世絵師で楊洲周延の弟子鍋田玉英について絵を学ぶ。
翌年、眼病により絵画修業を中断し琴や月琴で身を立てようとするが、一年程で病は癒え再び画道に戻る。
明治18年(1885年)、15歳で今度は鈴木鵞湖の子で石井柏亭・鶴三の父にあたる南画家・石井鼎湖に就いたが、同年に父が亡くなったためこれを中断する。
半古は家族を養うため、松尾儀助らが横浜で設立した日本の工芸品輸出会社「起立工商会社」で、工芸品の下絵を描いていた。
この会社で同じく図案を描いていた菊池容斎の門人鈴木華邨に教えを受ける。
華邨から菊池容斎の木版画集『前賢故実』を紹介され、全図を暗記するほどまでに模写、独学で人物画を修得している。
この成果が早くも明 ……

推定関連画像

梶田半古が亡くなってから、107年と90日が経過しました。(39172日)