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小川芋銭(おがわうせん)

日本画家[日本]

1938年 12月17日 死去享年71歳

小川芋銭 - ウィキペディアより引用

小川 芋銭(おがわ うせん、1868年3月11日〈慶応4年2月18日〉 - 1938年〈昭和13年〉12月17日)は、19世紀から20世紀前半にかけて活躍した日本の日本画家である。
本名は茂吉、幼名は不動太郎。
男性。
来歴・人物= 小川家は牛久藩士で、大坂の陣で勇敢に戦い戦死した木村重成の子孫という。
父は常陸国牛久藩の大目付であったが、廃藩置県により新治県城中村(現在の茨城県牛久市城中町)に移り農家となる。
最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け朝野新聞社に一時雇われの画工として入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。
横山大観に認められ、日本美術院同人となる。
生涯のほとんどを牛久沼の畔(現在の牛久市城中町)で農業を営みながら暮らした。
画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれている。
画号の「芋銭」は、愛読した徒然草の中にある芋食和尚にちなんだものであり、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるという。
身近な働く農民の姿等を描き新聞等に発表したが、これには社会主義者の幸徳秋水の影響もあったと言われている。
また、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている。
芋銭はまた、絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動した。
長塚節や山村暮鳥、野口雨情などと ……

小川芋銭が亡くなってから、85年と340日が経過しました。(31386日)