芸能人・経営者のおくやみ情報

伊原宇三郎(いはらうさぶろう)

画家[日本]

1976年 1月5日 死去享年83歳

伊原宇三郎 - ウィキペディアより引用

伊原 宇三郎(いはら うさぶろう、1894年10月26日 - 1976年1月5日)は、日本の美術家。
国内外で活躍した洋画家。
古典主義風の重量感のある裸婦像など、数多くの人物画を制作した。
またパブロ・ピカソに傾倒し、著書を著して日本にピカソブームを巻き起こした。
徳島県徳島市出身。
経歴= 1894年(明治27年)伊原安蔵・カメの三男として生まれる。
大阪に出て今宮中学校で折口信夫に学び影響を受けた。
1916年(大正5年)東京美術学校西洋科に入学、藤島武二に学ぶ。
1917年(大正6年)、在学中に光風会第5回展覧会、太平洋会第14回展覧会に出品して入選。
同年この頃から2年半にわたり、月刊誌「家庭料理講義録」に当時有名だった榎本小太郎の料理を表紙、口絵、挿絵に描く。
1920年(大正9年)満州旅行で取材した「明装」が第2回帝展に初入選する。
1921年(大正10年)美術学校を首席で卒業。
卒業制作した「よろこびの曲」は文部省買上げとなるなど早くからその資質を認められる。
1924年(大正13年)芥川賞受賞作家の由起しげ子と結婚、三男一女を儲けた。
1925年(大正14年)農商務省の海外実習練習生としてフランスに渡る。
ピカソら同世代の画家たちに共感をよせる一方、ルーヴル美術館に頻繁に通いながら、ドミニク・アングルの「グランドオダリスク」といった古典絵画を模写する。
こうしてモニュメンタルで古典の静かな香気が漂う画風が確立される。
1927年(昭和2年) ……

伊原宇三郎が亡くなってから、48年と321日が経過しました。(17853日)

推定関連画像