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益田義信 氏(ますだよしのぶ)

画家[日本]

1990年 1月10日 死去享年86歳

益田 義信(ますだ よしのぶ、1905年(明治38年)3月1日 - 1990年(平成2年)1月10日)は、日本の洋画家。
益田農事株式会社取締役。
益田太郎冠者の子として東京に生まれる。
兄弟は5人とも「信」の字を名前に含むため、俗に「五信」と呼ばれる。
慶應義塾大学卒。
梅原龍三郎に師事する。
パリ留学後、国画会に所属した。
ヴェネツィア・ビエンナーレなど国際展のコミッショナー。
国際造形芸術連盟会長。
日本自動車連盟(JAF)のマークは、1963年(昭和37年)の創立当時に理事を務めていたことから益田がデザインした。
色については、制作当初から白とブルーと決めていたとのことで、全9種の試作のうち5枚をJAFに持参し、最終決定されたものが、益田の一番のお気に入りのデザインだったというエピソードが残されている。
父と同じく、戦時中も洋行するほどの放蕩ぶりで、祖父・益田孝(三井物産、日本経済新聞社創業者)の築いた巨額の財産を使い果たしたことで知られる。
妻の桑子は、洋鉄を最初に扱った鋼鉄商の森岡平右衛門娘。
著書= さよなら巴里 (三修社 1979年5月) 共編著= 西洋名画家選集 第6 ボナール画集 (アトリヱ社 1932年) 世界の美術 第21 マティス、ブラック (河出書房新社 1964年) 世界の名画 第2 モネ・ボナール (学習研究社 1965年) 日本の名画 46 梅原竜三郎 (講談社 1973年) 日本の名画 3 安井曽太郎・梅原龍三郎・林武 (原田実、小川正隆共編著 講談社 1977年 ……

益田義信さんが亡くなってから、34年と315日が経ちました。(12734日)

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