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多々良純 氏(たたらじゅん)

俳優[日本]

2006年 9月30日 死去肺機能不全享年90歳

多々良純 - ウィキペディアより引用

多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006年9月30日)は、日本の俳優。
本名:田足井 重二〈たたらい しげじ〉。
宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)出身。
東京府立第九中学校卒業。
新倉事務所に所属していた。
新築地劇団研究生、苦楽座、劇団民藝など舞台俳優として活動し、数多くの映画・テレビドラマに出演。
頑固ながら根は優しい役などに定評があり、軽妙な役もこなせる貴重なバイプレーヤーとして活躍した。
来歴・人物= 1917年(大正6年)8月4日、宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)に、父・重一と母・利の次男として生まれる。
幼少時代は家業の都合で石巻、仙台、東京と居を移す。
西巣鴨第二小学校を経て、1935年(昭和10年)に東京府立第九中学校を卒業後、国際ホテル学校に入学し、5カ月で中退、帝国ホテル食堂部に就職する。
1年ほど勤めた後、朝日新聞に載った新築地劇団研究生募集の広告を見て、子供の時からの夢だった役者の道を志す。
1945年(昭和20年)1月、富士フイルム足利工場公演における桜隊記念写真。
中列左から3人目が多々良。
前列左から島木つや子、園井恵子、永田靖、1人おいて丸山定夫。
後列左端は高山象三。
1936年(昭和11年)10月、新築地劇団に入所、同期に殿山泰司、千秋実、小山源喜らがいた。
同年11月の劇団公演『女人哀詞』(山本有三原作)で初舞台を踏んで以来、『どん底』『土』『ウインザーの陽気な女房』などの舞台 ……

多々良純さんが亡くなってから、18年と52日が経ちました。(6627日)

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