双葉山定次(ふたばやまさだじ)
相撲力士・第35代横綱[日本]
1968年 12月16日 死去劇症肝炎享年57歳
双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。
第35代横綱。
位階は従四位。
本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。
現在も破られていない69連勝の大相撲記録を樹立し、太平洋戦争前の日本で国民的人気を得た。
横綱在任時代に双葉山相撲道場を創立して指導者(親方)となり後進力士を育て時津風一門を形成、日本相撲協会理事長として運営の改善にも取り組んだ。
来歴=
定次少年の角界入り=
1912年2月9日に大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)で生まれる。
5歳の時に吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、右目が半失明状態になった。
後年、双葉山は著書「相撲求道録」の中でこの事件について、友達と遊んでいる最中に目を傷めたことは覚えているものの、その原因が吹き矢だったことについてははっきりとした記憶が無いと語っているが、横綱審議委員長を務めた舟橋聖一は「誰が吹き矢を拭いたのかを唯一知っていたのは定次少年の父親で、定次少年が吹き矢を吹いた人物を恨んで自身のマイナスになることと、定次自身が傷つかないようにするため、決して名前を出さなかった」と分析している。
少年時代は成績優秀で普通に進学を目指していたが、父親が営む海運業が失敗して5000円(現在の2億5000万円相当)の借金を負い、兄と妹と母親も早くに亡くしている事 ……
双葉山定次が亡くなってから、55年と340日が経過しました。(20429日)