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栃錦清隆 氏(とちにしききよたか)

相撲力士・第44代横綱[日本]

1990年 1月10日 死去脳梗塞享年66歳

栃錦清隆 - ウィキペディアより引用

栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。
第44代横綱。
本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。
来歴= 春日野部屋入門= 1925年に、小岩村(現・江戸川区南小岩)で蛇の目傘の製造を営む家の二男として生まれる。
少年時代から運動神経は抜群で、並外れた体力と恵まれた体格を見た近所の八百屋の勧めもあって、下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)卒業後、13歳で春日野部屋の門を叩き、1939年1月場所で初土俵を踏む。
十両昇進を機に名乗った四股名の「栃錦」は、春日野の現役名である栃木山守也と、その兄弟弟子だった大錦卯一郎から付けたものであり、当時の期待ぶりが窺える。
新弟子検査では直前に白飯と水を腹一杯に詰め込み、体重計の上に飛び乗って針を大きく揺らして通過したというほどの軽量で、周囲の期待はさほど高くはなかった。
ただ、春日野だけは「軽量だから三段目でさすがに厳しいかと思っていると、ちゃんと相応の相撲を取る」と評価していた。
これは、有望な弟子たちを次々に兵役へ取られていく中で、春日野としては栃錦に期待するしかなかった、とも言われている。
春日野は死去直前、栃錦について「新十両の頃は『これが唯一の関取経験』と思ったら十両で ……

栃錦清隆さんが亡くなってから、34年と315日が経ちました。(12734日)