照國萬藏(てるくにまんぞう)
相撲力士・第38代横綱[日本]
1977年 3月20日 死去享年59歳
照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。
第38代横綱。
本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となる。
来歴=
秋田の怪童、入門=
1919年1月10日に秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家で生まれ、秋ノ宮第一尋常小学校を卒業後は家業である農業を手伝う。
畑作業で土を掘ったり、収穫した野菜などを運搬するうちに力が付き、1930年の夏に「秋田に怪童あり」との評判を聞きつけた母の遠縁である5代伊勢ヶ濱から熱心に勧誘されたが、入門が嫌で逃げ回り、5代伊勢ヶ濱が訪問している間は実家に近寄らなかったほどだった。
やがて話し合いの結果、体重は24貫に達していたものの身長が5尺3寸で、検査基準の5尺5寸に達しなかったことから、高等小学校を卒業するまで待つことが決定した。
しかし、1932年1月6日に勃発した春秋園事件に相撲協会全体が対応せざるを得なくなったため、5代伊勢ヶ濱も巡業に行く余裕など無かったことから、秋田の怪童のことなどすっかり忘れていた。
1934年の冬に5代伊勢ヶ濱の一行が湯沢へ巡業した際に、秋田の怪童のことを思い出し、巡業の合間に怪童の元へ再び出向いた。
今度は全く逃げ回ることが無く、怪童の父が亡くなった直後だったことで家計が苦しく、自らの体格を活かす仕事に就きたいと考えていたため、猛反対する母を強引 ……
照國萬藏が亡くなってから、47年と202日が経過しました。(17369日)