鏡里喜代治 氏(かがみさときよし)
相撲力士・第42代横綱[日本]
2004年 2月29日 死去享年82歳
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ、1923年4月30日 - 2004年2月29日)は、青森県三戸郡斗川村(現・三戸町)出身で時津風部屋(入門時は粂川部屋)に所属した大相撲力士。
第42代横綱。
本名は奥山 喜世治(おくやま きよじ)。
来歴=
入門前=
1923年に青森県三戸郡斗川村(現・三戸町)で農家を営む家庭の三男として生まれる。
出生時は体重が8000gにもなる大変な怪童で、地元ではすぐに評判となった。
早くに父親を亡くしてからは母親の家業を手伝っていたが、評判を聞いた同郷の元大関である粂川から熱心に勧誘され入門、1941年1月場所で粂川部屋から初土俵を踏んだ。
鏡里の四股名は粂川の現役名「鏡岩」に由来する。
入門前には粂川の使いが「東京見物へ」と旅費30円(現在の10万円に相当)を強引に渡したため、それを返済しに母と共に部屋に向かうと大いに喜んだ粂川の熱心な説得と母子への丁重なもてなしが待っており、これが入門の決め手となった。
故郷には大相撲に進んだものの中途半端でやめて帰って、それで正業に就かず田舎相撲を取って暮らしていた人物が多く、それを目の当たりにしていた両親や親戚がいたため、もし奥山が相撲を取ってもそのような末路をたどるのではないかと親族から反対されていた。
入門の際、家族からは「いや、喜代治が相撲になって、三日も我慢できるか」などといわれたが、中途半端なまま辞めて帰ってくると家族などに顔向けできないため必死で相撲 ……
鏡里喜代治さんが亡くなってから、20年と266日が経ちました。(7571日)