内田勝 氏(うちだまさる)
雑誌編集者[日本]
(週刊少年マガジン 元編集長)
2008年 5月30日 死去肺がん享年74歳
内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008年5月30日)は、日本の雑誌編集者。
北海道生まれ。
講談社発行の漫画雑誌『週刊少年マガジン』第3代編集長。
経歴=
1935年北海道に出生し、小学6年生から埼玉県越生町へ転居する。
地元の小中学校を卒業後、川越高校を経て東京教育大学へ入学する。
在学中に結核を患い、1年間休学した。
1959年に講談社を受験し、一度は身体検査で不合格となったが、大学の主任教授梅根悟の推薦状で入社を許された。
『週刊少年マガジン』には創刊時から携わり、1965年に第3代編集長に就任する。
怪獣ものの企画で同誌の売上を伸ばし、30万部だった発行部数を1年で50万部に増大させた。
拳銃プレゼントや世界の切手プレゼントなどの企画も、内田の独創である。
副編集長・宮原照夫と共に梶原一騎を訪問して本格的な漫画原作者の道へ導き、梶原原作の『巨人の星』を1966年に連載開始する。
同作は1971年の連載終了まで、『週刊少年マガジン』の発行部数増加に貢献する大ヒット作品となった。
また出版部数を延ばすため、出版とテレビのコラボレーションに尽力した。
水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』(当時連載中だった『墓場の鬼太郎』をアニメ化の際、スポンサーの要請もあり、内田の提案で『ゲゲゲの鬼太郎』に改題)、その後の『仮面ライダー』、『タイガーマスク』などのヒーローものへ繋がっていく。
内田の著書『奇の発想』に、内田と渡邊の2 ……
内田勝さんが亡くなってから、16年と175日が経ちました。(6019日)