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朝永振一郎(あさながしんいちろう)

物理学者[日本]

(ノーベル物理学賞受賞)

1978年 7月8日 死去咽頭がん享年74歳

朝永振一郎 - ウィキペディアより引用

朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年)3月31日 - 1979年(昭和54年)7月8日)は、日本の物理学者。
理学博士(東京帝国大学・1939年)。
東京教育大学名誉教授。
相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。
超多時間論を基に繰り込み理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によりノーベル物理学賞を受賞した。
東京生まれで、少年時代以降は京都育ち。
なお、朝永家自体は長崎県の出身。
武蔵野市名誉市民。
生涯= 1906年、東京市小石川区小日向三軒町(現:文京区小日向)に、父・朝永三十郎(長崎県大村藩士の出)と母(埼玉県出身)の第二子(2男2女)で出生。
幼少期は病弱であったと伝えられる。
父の三十郎は著名な哲学者(京都学派の一員)で、1913年に京都帝国大学教授就任に伴い、一家は京都市に転居し、錦林小学校に転校する。
振一郎は次第に自然に興味を持つようになり、虫眼鏡で実験を行ったり、電信機や顕微鏡のレンズを自作するなどしていた。
哲学者の息子だったが、後年に「哲学というものは私にとってはなはだ苦手で、どうしても歯がたたない」と語っている。
しかし、しばしば他人から「あなたのいったり書いたりしていることは結構哲学的ですなどといわれる」とも述べている。
京都一中(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校、京都帝 ……

朝永振一郎が亡くなってから、46年と136日が経過しました。(16938日)

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