串田孫一 氏(くしだまごいち)
哲学者、詩人[日本]
2005年 7月8日 死去老衰享年91歳
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。
経歴=
1915年、東京市芝区生まれ。
駿河台や永田町や一番町に育つ。
暁星中学校で学び、中学時代から登山を始めた。
1932年、旧制東京高等学校文科丙類に入学し、1935年に卒業。
東京帝国大学文学部哲学科で学び、1938年に卒業した。
同1938年には、処女短編集『白椿』(初見靖一名義)を刊行した。
卒業後は、上智大学で教鞭をとる。
戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓し、『歴程』同人となる。
旧制東京高等学校で教鞭をとり、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。
また矢内原伊作や宇佐見英治らが創刊した文芸誌『同時代』にも同人として参加。
東京外国語大学教授を務めたが、1965年に退官。
1965年から1994年まで、FMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティを務めた。
2005年7月8日に老衰のため東京都小金井市の自宅で89歳で死去。
戒名は豊徳院孫誉文岳哲道居士。
受賞・栄典=
1980年:紫綬褒章を受章。
詩人、随筆家として=
「初見靖一」の筆名をもつ。
サインを求められたとき本名の音をもじって「九四○五一」と書くことがあった。
家族・親族=
父:串田萬蔵は三菱銀行会長。
母:フミは今村繁三の姉。
妻は旧侯爵・佐々木行忠の長女・美枝子。
長 ……
串田孫一さんが亡くなってから、19年と92日が経ちました。(7032日)