ヴェルナー・ハイゼンベルクWerner Karl Heisenberg
理論物理学者[西ドイツ]
1976年 2月1日 死去享年76歳

ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg、1901年12月5日 - 1976年2月1日)は、ドイツの理論物理学者。
行列力学と不確定性原理によって量子力学に絶大な貢献をした。
生涯=
ドイツ帝国南部バイエルン王国(現在のバイエルン州)ヴュルツブルクに生まれる。
曽祖父のアドルフ・ツァイシンク(Adolf Zeising)はギリシャ古典文献学者で、「黄金比」の概念を広めたことで知られる。
父アウグスト・ハイゼンベルク(August Heisenberg)は古典文献学者で、ビザンツ学が専門だった。
母方の祖父が校長をしていた人文主義ギムナジウムのマクシミリアンギムナジウム・ミュンヘン(Maximiliansgymnasium München)で教育を受ける。
第一次世界大戦時には農場で勤労奉仕していたが、敗戦後は反共派のフライコーア(ドイツ義勇軍)に加わり、バイエルン・レーテ共和国の鎮圧に参加した。
ミュンヘン大学のアルノルト・ゾンマーフェルトに学び、1923年に博士号取得。
1924年、ゲッティンゲン大学でマックス・ボルンの助手となる。
同年、コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所に留学し、ボーアに師事する。
パスカル・ヨルダンの協力を得ながら、1925年に行列力学(マトリックス力学)を、1927年に不確定性原理を導いて、量子力学の確立に大きく寄与した。
1927年、弱冠25歳でライプツィヒ大学教授に就任。
同僚のフリードリヒ・フントと共にライプツィヒ大学を理論物理学の中心地として育て ……
ヴェルナー・ハイゼンベルクが亡くなってから、49年と14日が経過しました。(17911日)