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織田作之助(おださくのすけ)

作家[日本]

1947年 1月10日 死去結核享年35歳

織田作之助 - ウィキペディアより引用

織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。
戦後、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。
『夫婦善哉』で作家としての地位を確立。
生涯= 生い立ち= 1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。
仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、中央区上汐1丁目の一画(『近松門左衛門の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=長屋)が唯一残っている。
当時両親は母方から結婚反対に遭っていた為に婚姻届を提出できておらず、戸籍上は母の兄・鈴木安太郎の甥「鈴木作之助」という形をとった。
作之助が「織田作之助」となるのは、1926年に両親が正式に入籍を果たしてからである。
1917年に父が商売で失敗し、大阪市東区東平野町に移る。
1920年(大正9年)、大阪市立東平野第一尋常高等小学校(現・大阪市立生魂小学校)に入学。
1926年、旧制大阪府立高津中学校(現・大阪府立高津高等学校)入学、この頃は『少年倶楽部』などを愛読し、校誌『常盤木』に夏休みのみ同人として参加。
1931年に第三高等学校(新制京都大学教養部の前身)文科甲類に合格、田宮虎彦、白崎礼三 ……

織田作之助が亡くなってから、77年と289日が経過しました。(28413日)